ヘルドクターくられの「俺コラム」:恥の概念と自分との向き合い方

リテラシー
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初出:2016/04/26 Vol.169 俺日記

Joker
Joker

今回は「羞恥心」がテーマですか、先生。

くられ
くられ

いやー、恥ずかしいと思う事自体は結構人それぞれだけど、あんまり取り繕うとかえって恥ずかしいんじゃないかってね。

Joker
Joker

怠惰な自分もある程度は許してやれよ、という事ですね。

くられ
くられ

いつも言ってるけど、何事もほどほどが良いのだ。

Joker
Joker

では、怠惰な私は、もうすっかり深夜ですが、ラーメンでも食べにいこうと思います。

くられ
くられ

いや、少しは取り繕えよ(笑)・・・まあでも、たまにはいいか。夜遅くまで作業してるとお腹空くしね。

恥という概念

人間誰しも、羞恥心というものを持っています。恥ずかしいと思う事ですね。

しかし、この「恥」とは一体何なのでしょうか?

端的に説明するのだとしたら、恥とは、周りに対して自分が異なることや、自分の行動、主義、主張に矛盾があったりなど、いろいろな場面で人間が感じる特殊な感情のひとつです。

そして、ある程度の共通性はあったとしても、個人個人で「恥ずかしく思うこと」の範囲は、だいぶ異なります。

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羞恥心の個人差

自分もいろんな人を見てきましたが、善し悪しを別にしても、普通であれば恥ずかしいと思いそうな事はぜんぜん平気なのに、妙なところを恥ずかしがったりだとか、モジモジと常に恥ずかしそうにしてるのに、えっと思うところで豪胆だったりとか、なかなか、十把一絡げにはできないところです。

この辺、認識の相違・・・「恥だと思うこと」の違いで喧嘩になったりすることもあるので、人それぞれ、恥だと感じる範囲には個人差があって絶対的なものではない、というのは意識しておくと良いかもしれません。世の中、距離を置いた方が良い関係性というものもあります。

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取り繕うのはほどほどの方が良い

これらの個人差を踏まえた上で、自分がある程度生きてきて気が付いた事があります。

それが「自分を偽るほど、恥をかくことが大きくなる」という、当たり前の理屈です。

人間というのは、自分さえ良ければ良くて、自分勝手で、他人の幸せを妬み、欲深く、志は常に低く流れる・・・そういう生き物です。

これが普通なのです。

いやいや、自分はそんな人間じゃない、人はもっと愛情深い、私はそんなにエロくないし・・・そうした異論、反論もあるでしょう。

うんうん、そうだよね。でも、大なり小なり、人間とは低きに流れるものなんです。

誰だって、楽したいし、良い目にあいたいし、モテたいし、お金持ちになりたいのですよ。

この辺、それこそ個人差も大きい部分でしょうが、怠惰な部分が内心にもまったくないパーフェクトな人間などいない、という話でして、そうした部分を、公言するかはともかく、自身の弱さとして認めてやる、というのは、それこそ恥ではないんじゃないでしょうか。

もちろん、あまりに怠惰な欲望は、ある程度は恥ずべきものですが、ここで取り繕い過ぎても、いずれ何倍も恥ずかしい目にあうんじゃないのかなぁ・・・と思うわけです。

何事もほどほどに(笑)

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