ヘルドクターくられの「脳のキャパ論」:限界を超えると語彙力溶ける

リテラシー
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初出:2017/12/26 Vol.256 脳のキャパ

Joker
Joker

先生、「語彙力溶ける」現象って科学的に説明できますか?

くられ
くられ

科学ではないが、私の持論ならある!

脳のキャパ

脳というのは扱える情報量に限界があります。物理的な限界とも言えるでしょうか。

これは1日中部屋に引きこもってソシャゲしかしてないヒキニートもノーベル物理学賞を受賞した大学教授も、キャパは似たり寄ったりです。仮に差があるとしても100に対して150が天才と言われる人たちのキャパではないかと自分は思っています。

この漠然としたキャパに関してきちんとした科学的裏付け、データはありません。故に今回の話は自分の経験則による独断と偏見によって書かれているので科学ではありません(笑)。要するに、ただの持論であります。

まずはそれを踏まえていただいた上で、この先の話を読んで頂ければと思います。

扱える情報量には限界がある?

さて、そもそも、人間の脳というものが扱える情報量、抱えきれる経験値というのは、どうにも上限があるように思えます。それは言語的なものでも、ゲームであっても、科学であっても、運動でさえ、脳が制御しているものですから、同じく脳の占有率と関係があるでしょう。

適度な運動は脳の発達や回転を良くするとは言いますが、過剰な運動、やりすぎの筋トレ、異様に偏重した得意技能の必要なスポーツなどでは、スポーツ脳とか脳筋とか、ややアホになっている人を揶揄する言葉がありますが、あれも脳が筋肉の微細なコントロールを制御するためにフル稼働した結果、言語的や読解力などのキャパがオーバーフローして対応できなくなっているわかりやすい例ではないかと思うわけです。

同様に一部の学問に異様に特化した人は、日常生活がヤバかったり、人間性が撃滅的にだめだったりもします。

その究極系がサヴァン症候群などにおける異常な才能とそれに引き換えて日常生活に介護が必要なレベルの出来無さ・・・ではないかと思うわけです。

良くない例ばかりも何なので、良い例を挙げるとするならば、感動的なものを見聞きした時、憧れのあの人・・・今風に言うなら「推し」を生で見た時など、様々な感情が大爆発して脳の情報量が一杯になってしまい、いわゆる「語彙力溶ける」「推しが尊い」状態になる、と言えば良いでしょうか。

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キャパの有効活用:ストレッサーを排除しよう

このように、「人間の脳が扱える情報量」=「キャパ」として考えると、超優秀な研究者が予算繰りに奔走して私財まで売り払っていたりすることは、まさにキャパを奪っているに等しいわけです。また、もともとキャパのない人が、あれやこれやといろんな事に手を出しても、なかなかうまくいかない・・・という事にもなり得るのでは、と思います。

と、まぁ難しく考える必要も無く、このキャパを有効に使うという点において最も大きなタスクとなって、そして不要なものが承認欲求や自意識過剰といったものでしょう。自ら発生させるストレッサー・・・ストレスの原因は、率直にいってとても不利益なタスクではないかと思うのです。

例えば、「自分がどういう風に思われているだろうか!!!!」と常々思っていると、他人の反応そのものを見る余裕もなくなり、頭から煙が上がって、結果キョロキョロしたキモい不審人物ができあがって終了・・・と、コミュ障な感じになってしまう訳です。

こうしたキョロは場慣れの無さや、コミュニケーション能力の欠如から来るものですが、誰も彼も、子供の頃はコミュ障なのです。なのでコミュ障というのは個性では無く「訓練不足」でしかないと自分は考えます。

多くの学生などを見ていても思うのですが、他人が見えない子は自分自身もまともに見えていないことが多く、その結果 その「キョロキョロタスク」に脳のキャパの大半を奪われて勉強どころではなくなっていることが多い気がします。結局常に意識過剰状態が続いて周りが何も見えず、そんな人物は魅力的に映ることもなく孤立しやすくさらにキョロを加速させる・・・いいことなしです。

「じゃあコミュ障はどうやって克服すればええねん!!」みたいな逆ギレ回答が来そうなので、それはまたいずれ。

自分の話が役に立つのかどうかは・・・保証できませんが・・・(笑)。

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